本日は、広島に原爆が投下されて78年になりました。8/9には、長崎に投下されています。本来、被爆国として核廃絶の先頭にたつべきだと思いますが、残念ながら国民に信任されている現政権は、そう考えていないようです。加えて、ウクライナ侵攻以来、他国の核の傘の下に入ることで、戦争抑止力を得ようとする意見も多く聞かれます。そこで、今回は、戦争というものの持つ精神的影響について考えてみます。
ウクライナ侵攻以来のロシア国民へのインタビューを聞くたびに、太平洋戦争の頃の我が国の状況に酷似していると思います。大多数のロシア国民は、今回の戦争を悪とは思っていません。大戦前の我が国も欧米列強に対抗するアジアの代表国としての日本を強く意識しており、満州国建国に始まる中国侵攻を悪と考えていた国民は少数派でした。当時の日本を軍国主義と呼ぶ方も多いですが、小生は、軍部独裁を許した国民感情が確かにあったと思います。そこには、確実にマスコミや学校教育による洗脳ともいえる宣伝活動があった筈です。ロシアの現状についても、政府の言論弾圧で反対論が言えないというマスコミ報道が散見されますが、戦前の日本と同様に、既に、国民の大多数が洗脳されていると考えています。そこには、社会全体の風潮というものが醸成されており、反対意見を持つ方を阻害する集団意識も醸成されている筈です。この風潮が醸成されてしまってからでは、戦争は止められないと考えます。その意味では、戦前の我が国同様、今回のウクライナ侵攻についても、ロシア国内では正義と捉える風潮が出来上がっていたと考えています。
原爆投下についても、米国国民の多くは、戦争の早期終了に向けてやむなしと考えおり、、原爆投下によって「一億総自決」という無謀な戦争方針を持っていた当時の日本政府から日本国民を救ったと信じています。一方、戦後の我が国においても原爆に対する風聞から被爆地の住民が差別された実態もありました。これが「黒い雨被爆」裁判に深く影響しており、差別を恐れ「黒い雨」の被害者や目撃者がその事実をひた隠しにしていた為に、認定を妨げていました。更に、広島では「黒い雨被爆」は認定されましたが、長崎では未だに解決にいたっておりません。
上記のように、国家の正義という概念で、為政者が仮想敵国を設定し、国民感情に訴えることで、戦争の狂気が生まれ、狂気は、国民に広く伝播していきます。そして、戦争開戦後は、相手国民を殺すことをいとわなくなっていきます。戦場においては、少なからず相手個民を殺すことを「人殺し」と判断する方もおられるようですが、この手の話は、ユダヤ迫害以外では、あまり取り上げられていません。逆に、敵前逃亡や国家反逆罪として処罰されることになります。国家よりも明確に戦争の狂気を産み出すものが、「一神教」だと考えます。勿論、全ての「一神教」が戦争の狂気に繋がる訳ではありませんが、「一神教」には他の神を邪神として排斥することを内包している為に、十字軍やイスラム革命のような戦争の狂気の温床となります。
人類には「殺人」を悪とする戒律が古くからあります。しかしながら、国民一人一人が持っているこの戒律に従って、集団殺人行為である戦争を止めた事例は、歴史の奇跡として古代中国史に見られるだけです。但し、その国も数年で滅ぼされています。小生は、インターネットの普及により、為政者が仮想敵国を想定して、自国防衛含めた戦争を肯定している「国家」という概念を、「殺人をしない」とう戒律を持つ国民が勝る時代がくることを夢想しています。核廃絶に向けても、全世界の人が、広島・長崎の原爆被害の実態を知ることで戒律を強く意識することを推進していくことが、遠いようで近道であるように思います。インターネットは、「はだしのゲン」の世界的な愛読者の拡がりなど、この分野でも効果を発揮し始めているように思えます。
尚、戦争の狂気から覚醒させる方策は、残念ながら全く思いつきません。過去に効果があったのは、第一次世界大戦の際の「スペイン風邪」によるパンデミック発生くらいです。経済も関係しそうなのですが、現在のロシアへの経済封鎖に見られるように決定的な事例は歴史にも見られません。一方、敗戦国となった戦後の我が国においては、終戦後も狂気が長く残っていたように思います。ウクライナ侵攻による戦争の狂気も、ウクライナ・ロシア両国に長く留まるように思えてなりません。開戦に踏み切り、戦争の狂気を蔓延させた為政者を裁くのは、歴史しかありません。老境に入りインターネット普及後の世界の歴史を創ることはかないませんが、IT業界に携わった者として興味は尽きません。
以上