最近の世相を見ていますと、以前からもお話をしているように社会全体のモラルの低下を感じています。歴史を振り返りますと、丁度、鬼平の活躍した明治維新前夜も同様だったように思います。そこで、今回は、現在の状況と比べ易い視点で、小生なりに当時の様子を整理してみます。
鬼平の時代は、江戸幕府が長く続いた中で、いろいろな矛盾が表面に吹き出ていた時代です。先ずは武士社会に生まれた格差です。いうまでもなく武士は年貢米で支払われる家禄で生活しておりましたが、長く平和が続く中で、経済が発達し経済の主役は米から貨幣へと変わっていました。元禄以降、その流れは明確になっており、商人と武士でも家老や奉行などの上層部のもたれ合いは日常的なものになっていました。吉宗は、この流れは元の農本体制に戻そうとしましたが、流れは止まらず幕府内での権力争いもあり、家禄は扶持米のままで市場は貨幣経済という矛盾のまま明治へ向かいます。この結果、札差という年貢米を貨幣に換える商人は、武士への貸し付けも行うようになり、下層武士と役職武士との格差は拡大していきました。武士が町人に家柄を売りに出すようになったのもこの時代からです。支配階級の中にも家柄優先ではなく実力主義による抜擢も行われるようになっていました。但し、家柄による家禄の変更は難しく、抜擢された下級武士には貨幣による俸禄も支払われたようです。支配階級も金次第となっていったわけです。
貨幣経済の普及は、勿論、農民にも影響を与えます。年貢米への不満による一揆に代表されるように武士階級との争いが取り沙汰されますが、貨幣経済の農村に与えた影響のほうが大きかったのではないでしょうか?米を金に換えないことには生活が成り立たず娘を売るなどの行為が行われるようになります。更には、次男坊など食えない民の農村から都市への流出も問題となっています。流出した民は無宿人となります。無宿人といえば直ぐにヤクザと考えがちですが、そうではなく農村から都市へと流れてきた民の総称です。幕府が人返し令を発布し、無宿人の一掃をはかりますが、農村で食えることが出来ない限り無理な話でした。この無宿人が都市でも食えなくなり盗賊やヤクザに変わっていったのが鬼平の時代です。鬼平のモデルとなった長谷川平蔵が無宿人寄せ場を設けたのもこの時代です。
尚、農業に頼らない産業の育成に各大名がやっきになったのもこの時代です。年貢に頼らず貨幣を得る施策を考えたものです。一方で新田開発も盛んに行われています。結果として地方にも御用商人が生まれていきます。その結果、商人による情報交換も盛んになり、支配階級が独占していた情報も全国的に普及していくことになります。
如何でしょう。国会議員や高級官僚の金への拘り、都市への人口集中、非正規雇用の増大インターネットのよる情報共有など、今の世相と似ていると思いませんか?歴史では、この後、明治維新へと向かいます。諸説はありますが、維新へのきっかけは、いわゆる尊皇攘夷ではないというのが持論です。尊皇攘夷運動をはじめとする幕末動乱は、とどのつまりは、徳川幕府転覆を狙う勢力の策謀と考えます。更には、米国・英国・仏国・露国・プロシャなど欧米列国のアジアにおける主導権争いがこれに結びついたものとみています。小生が最も着目しているのは「大塩平八郎の乱」です。大阪奉行所の与力の反乱であり、大阪町人の支援がありました。つまり、広く庶民に知られている権力の腐敗を内部告発したもので、支配階級の無能を改めて広く万人に示したものと考えた次第です。これを機に、徳川幕府の権威がほころび、倒幕勢力の台頭を許したものと考えます。
権力の腐敗とは、為政者が「衣食たって礼節を守る」という民への配慮を忘れたことに由来すると考えています。その根本にあるのは、貧困層の実態を為政者がどこまで知っているのか?に係わるのではないでしょうか?格差社会が生まれ、その勝ち組に居る方からは貧困層の存在すら判らないのかもしれません。一億総中流といわれた昭和中期から国民総生産は変わらないのに給料が安いといわれる今は、一部の人達が利益を独占することで、貧富の格差が拡大している証拠ではないでしょうか?更には、その実態を正しく把握していない現状があるように思えます。人口減少の背景にも「衣食足らずの人」が沢山いることを為政者が正しく把握していないことに起因しているように思えてなりません。
以上