cop27がエジプトで開催されており循環型社会の実現が叫ばれております。小生は、循環型社会のキーワードは「捨てないこと」だと考えています。
「捨てないこと」とは、端的に物で表現すれば、古い物が使えなくなった場合に、新しい物を買うよりも、古い物を修理して使い続けることが優先されること、と考えています。ご承知のように、大量生産大量消費が優先された時代が続いた結果、どんどん新しい物に買い換えることが当たり前になり、着物や電化製品、時計など修繕を行う商売が衰退していきました。ところが、捨てられた家電製品からICチップを回収し、金を抽出する会社の登場で、都市鉱山発掘という言葉も生まれております。又、あのユニクロがお直し専門店を試験的にオープンさせました。このように、あらゆる業種においてリサイクル業が出現し、リサイクルやリユースが一般化することで、「捨てないこと」文化が育成されていくと考えています。
「捨てないこと」ということは、物だけではなく動植物も同じで、古くからある牧畜や植林に加え、盛んになりつつある海洋養殖などは、資源保護にも繋がる「捨てないこと」産業だと考えています。更には、人についても同様と考えており、能力の使い捨てのようにも見える人材流動化をうたう現政府の労働政策には、おおいなる疑問を抱いております。
ここからは妄想の域に入りますが、期待を含め「捨てないこと」が、大きなうねりとして時代の変わり目を迎えるきっかけとなることを願っています。
時代の変わり目は日本史では明確に表現されています。平安時代までは都の位置、室町以降江戸時代までは、幕府交代など支配者の変化、明治以降は年号で区別されています。余談になりますが、年号には時代を象徴する意味はありませんので、明治以降については、未来のどこかで、時代名としては見直しがあると確信しています。一方、世界史においては、時代の変わり目は明確にはなっておりません。小生は、第一次世界大戦以前を帝国主義の時代、大戦以降を経済至上主義の時代と考えました。資本主義国が経済至上主義であることは明確ですが、社会主義国と呼ばれている国を支配している共産党の思想背景もマルクス経済学になりますので、経済思想が政治思想を支えていることに変わりは無いと考えた次第です。尚、以前もお話ししていますように、ロシアも中国も選挙で国家元首は選出されています。従って、民主主義の時代と考えてもよいのですが、金が世界を支配しているという点から経済至上主義の時代と考えました。帝国主義が武力を中心として他国を支配する時代であるなら、経済至上主義では、金で他国を支配する時代ととらえました。
ところが、異常気象の発生・貧富の格差の拡大・パンデミックの発生などで、経済至上主義が行き詰まっているのが現在だと考えています。帝国主義時代を支えた武力、経済至上主義を支える金に替わるものとして、「捨てないこと」つまり資源至上主義の時代がくるのでは?と妄想しております。
又、インターネットの普及により、国境の無いネット社会が登場したことも資源至上主義の時代を迎えるきっかけになるように感じています。資源を無駄なく活用するためには、ある意味、国境は障害になります。EUのような広域経済圏も出現しておりますが、デジタル社会が生まれた時から常識であった若年層(Z世代)が中心となり、民族というものを尊重した上で、地球規模で資源優先を行う新しい政治と経済のしくみが、ネット社会上に先行して構築されるかもしれません。
以上