労働力流動化2 営業雑感NO.202

 今回は、前回に引き続き労働力の流動化について別の角度で考えてみます。前回は、労働生産性との関係や地方の過疎化の問題との関連について持論をお話ししました。以前にもお話をしていますが、労働力の流動化のもう一つの背景にあるのが、社会にある階層の概念だと捉えています。永年勤続と流動化は対局にあることは皆さん理解されていると思われますが、それが年功序列と成果主義の問題に集約されて論じられることが多いことに違和感を持っています。永年勤続とは雇用形態の話であり、年功序列とは人事評価の問題です。たまたま戦後の多くの日本企業がこの二つを同時に採用していただけです。永年勤続の勤務形態をとりながら人事評価は成果主義を採用している企業があっても不思議ではありません。一方、米国企業においては実力主義が当たり前になっています。

 小生は、政府が例に出している米国型の流動化の背景には、米国企業にある労働者の階層の問題が根強いと考えています。つまり、米国企業の多くは、一流大学を卒業して入社した人材は、いきなり管理職として社会人のスタートをきります。ゴールは、勿論、経営者です。平社員としてスタートすることはありません。二流大学や高校を卒業して入社した方が平社員です。平社員として入社した方が経営層に抜擢されることは先ずありません。我が国の国家公務員に見られるキャリア制度と同じです。実力主義というのは、企業内にある階層の中で競われるものでしかありません。そこには勝ち負けもありますので、上級者の椅子取り競争に負けた者は、我が国の官僚が天下りをするように、他企業に流れていくことが必然だと理解しています。勿論、そこに厳然と存在しているのが報酬です。同じ経営の仕事をするのであれば、より高い報酬をくれる企業へ移っていきます。勝ち負けだけではありません。むしろこちらの方が多いかもしれません。米国型の流動性の多くはこの形態だと理解をしています。最近、この階層の背景として出身大学があると考えていましたが、それ以上に宗教が絡んでいることに気付かされました。この点は根深いものがありますので、しばらくは触れずにおきます。

 又、マイクロソフト、アップル、テスラに代表される米国ベンチャー企業においては、創業者のカリスマ性も相まって上記のような企業内の階層を廃して全社員平等な実力主義を採用しながら、従業員を家族的に扱う企業が登場しています。グーグルの経営スタイルも特異な形態をとっておりますが、このスタイルです。政治が捨てようとしている古き良き時代の日本企業のように思えるのは小生だけでしょうか?

 以上のように考えますと今の日本における流動化の本音は、企業における従業員解雇を容易にするだけの議論のように思えてなりません。労働生産性の問題は、労働者の責任よりも経営者の責任の方が遙かに重いものであることは自明の理です。経営者優遇制度としての流動化議論でないことを願うばかりです。

 少し横道にそれますが、先日、TVの取材である地方都市で成功している少子化への取組みが紹介されていました。育児補助や奨学金制度を充実させて、子供世帯の流入を図り、更には、大学卒業後に帰省して就職すれば奨学金返還を免除するという若者の都市への流出を抑える施策も実施していました。町の活性化にも寄与しているとのことでした。その財源確保の手段として、地方議会定員の3/1を減らし、公務員も大幅に削減した紹介されていました。地場企業との連携なども考えられているとは思いますが、政治が判断した一つの答えだと納得しました。つまり、少子化の問題を過疎化の一環として捉え、地方都市への流入増加と大都市への流出削減を総合的に考えた結果だと推察いたしました。政治の答えとは、政策実施の結果として現われた社会にあると愚考しております。その意味で、労働力の流動化については、どのような社会を実現しようとしているのが、残念ながら見えてきません。

以上

2022年7月3日 | カテゴリー : 閑話休題 | 投稿者 : csf-ishii