今回は、コロナ対策については、感染抑制・経済優先など、様々な意見が出ていますが、うまく議論が噛み合っていないようにも感じています。その背景として、意見を言っている方の持っている「当たり前」感が大きく相違しているように感じましたので、「当たり前」というものについて考えてみます。
小生は、日頃の活動から生まれる知識や行動を伴う知識を「当たり前」と定義し、社会に広く認識されている知識を「常識」と定義しています。従って、当たり前の方が、常識よりも個人差が大きくなります。地域や業種、会社や学校など属する集団で、それぞれ異なる当たり前が存在しますし、家庭の当たり前も各家庭で異なると考えます。加えて、同じ業務を担当していてもその人のスキルによって当たり前は異なると考えています。
議論がかみ合わない理由として、この当たり前を議論の前提として補足説明していないことが大きいと感じています。更には、自分の持っている当たり前を常識と勘違いしている方も見受けられます。秘密の県民ショーで面白可笑しく紹介されたことがありますが、回れ右の回り方やその際の掛け声は、地域によって異なっています。仮に、毎朝、ラジオ体操を行うと決めた際に、第一と第二のどちらを優先して使用するか?は話すとしても、その準備段階の回れ右の回り方やかけ声などについては話さないと思います。全く異なった体操前の行動イメージをそれぞれが待って毎朝のラジオ体操実施を議論していることになり、場合によっては議論がかみ合わないという事態が生じます。
コロナ対策の議論においては、経済学者と医師、官僚、議員という全く異なった当たり前を持った方が、予測が難しい状況を踏まえて対策議論をしていますので、噛み合わないのは当然のことなのかもしれません。私見ではありますが、コロナ対策については、感染抑制か経済優先かを議論する前に、出来ることを最も早く出来るようにしくみを整えることに特化して考える方が現実的だと思います。例えば、ワクチン接種を行うには、薬と医師と場所を揃えることを議論すべきです。薬は厚労省・通産省、医師は医師会、場所は自治体とそれぞれが個別に議論をしていては、遅いところに合わせて実施することに落ち着きます。より早くを実現する為の理論は、トヨタ方式で検証されたように、注射を行う現場から引っ張り制御で薬を要求するしくみを作るべきでしょう。検査も同様だと思います。
少し脱線しますが、予測の難しい課題については、現場で出来ることを確実により早く出来るしくみを考えることが有効と考えます。その際に、現場の当たり前を共有することが必須になります。
小生は、当たり前とは各個人の行動を規定するものと考えておりますので、各人が当たり前をより多く獲得することと、獲得した当たり前を伝えることが、社会人としての基本の営みと捉えています。その為には、日頃の作業を当たり前にすることと当たり前とした背景を明確に話せるようにすることが重要を考えています。
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