政局とマスコミ 営業雑感NO.160

 突然の首相の総裁選不出馬宣言で、パラリンピック報道も影を潜めた感があります。今回は、これまでにもあった政局とマスコミ報道の関係について、私見を纏めてみます。

 以前からお話しをしていましたが、小生は、現行のマスコミ報道に対しては、一歩引いた立場で見ています。その理由は「前の戦争に至る責任の一端に日本のマスコミ報道があった」と欧米では明確に総括されているにもかかわらず、その反省をどこのマスコミもしていないことにあります。勿論、これはマスコミだけに限らず、我が国が、戦勝国による東京裁判を隠れ蓑にして全てを曖昧にしていることと同じでですが、戦争体験が段々と薄れていく今こそ、戦争を知らないマスコミ人にその矜持を示して欲しいと願っています。

 マスコミ報道によって政局が大きく動いたことは過去にも沢山あります。古くは「板垣死すとも自由は死なず」は、有名なマスコミ報道です。当時は瓦版の影響が色濃く残っていましたので、本人の発した言葉とは異なる言葉をキャッチコピーのように選んだ結果でしょう。しかしながら、その後の帝国議会招集へと進んでいく後押しの役割を充分に果たしました。戦後の混乱期に、鳩山一郎氏や田中角栄氏の人気を煽って首相にしたのもマスコミ報道です。

 比較的新しい記憶では、自民党分裂、日本新党結成から政権交代を演出したのもマスコミ報道です。この時の熱気とその後の失望が、今の政治と選挙民の関係を招いたとも考えられます。今回の政局騒動で、小生の感じている疑問は、以下の二つです。

1)管総理への好評価

 これまで、どちらかというと批判的報道が多かったと思うのですが、総裁選事態表明をしてから以降、デジタル庁設立やコロナワクチン認可など、主に、官僚との戦いに関することになりますが、管首相で無ければ、これだけ短期間で実現出来なかったと報道されています。又、閣僚、国会議員、政治評論家もそれを認めています。そうであるならば、何故そのことをこれまで伝えて来なかったのか?「視聴率が取れない」だけで、済まして欲しくありません。まして、政治家の世界では、管首相の官僚組織との調整能力には定評があるかのような雰囲気もありました。それであれば、官僚との戦いに、何故勝てたのか?そこまで追求して欲しいものです。個人的には、総務省設立以降、その実質トップとして、官僚の取り込みや制度改革など、長年の官僚組織との戦いの中で培ってきたもののように思えます。その負の遺産として、忖度や公文書改ざんなど、味方となった官僚との癒着があったと勘ぐっています。故立花隆氏が、田中角栄氏の人脈を徹底的に調べ上げたように、政治と人脈の関係を明確にして欲しいものです。

2)総裁選立候補者としての岸田氏の露出の多さ

 自民党総裁選は、一般の選挙民には関係ないとはいえ、他の候補者が出そろわない状況で立候補を一番に表明しただけでの露出には、他候補者との不公平を感じています。他候補者も立候補表明をすれば呼ばれるのでしょうが、割り切れないものを感じています。

 以上のように、マスコミには、世論をリードして政局を動かすような行いも見えますが、それが過ぎると前の大戦の時のように、開戦へと国民を煽動することにもなりかねません。政局を動かす関わり方ではなく、取材で得た情報を丹念に選挙民に伝え、政局は、選挙民の判断に委ねる姿勢で臨んで欲しいと考えています。

以上

2021年9月5日 | カテゴリー : 閑話休題 | 投稿者 : csf-ishii