今回は、小生も連日テレビにくぎ付けになり、選手の活躍に一喜一憂しているオリンピックについて考えてみました。コロナ禍の中でのオリンピック開催ということで、これまでとは異例の開催となっています。この為、最近のオリンピックのしくみについての矛盾が、より際立っているように感じています。小生の考える矛盾は、1)IOCの特権意識と金権体質、2)開催主体が不明確、3)開催後評価の公開、の三点です。これらの課題は、全て、選手の活躍を食い物にしているように思えてなりません。
1)IOCの特権意識と金権体質
今のIOC体制に変わったのは、1984年ロスオリンピック以降と言われております。それまでオリンピック人気が低迷化した原因として、サッカーワールドカップに代表されるプロスポーツの国際化に伴い、スポーツの最高峰というオリンピックの意義が壊れ始めたことと、開催国の会場建設などの経費負担が困難になったことが挙げられます。対応策としてIOCが考えたのが放映権料やスポンサー料などIOCが巨大収益機関となり、その収益を各スポーツ国際機構に分配することでIOCによるプロ含めた全スポーツ機構の支配です。その必然として、プロとアマチュアの垣根を壊しプロ選手のオリンピック参加を許しました。そして、これらの改革によりオリンピックを巨大観光資源として開催国に売り込みました。結果、開催国側は、これまで以上に自国の政治材料としてオリンピックを利用することになりました。
そんな中、当然のようにそれまではボランティア要素の強かったIOC委員という肩書にスポーツ機構の頂点という権力と各国の政治家や企業とのつながりが生まれオリンピックに関する特権階級に変容していったと考えます。加えて、貨幣価値を中心とした価値観をスポーツの世界に定着させたと考えています。今回、パンデミック下でも中止を選択しなかった最大の要因が、この集金機構にあると愚考しています。
2)開催主体が不明確
東京だけの傾向かもしれませんが、開催主体である筈の東京都、政府、JOCと国内オリンピック関係機関の権限と責任が、市民に明確になっていません。加えて、IOCの介入です。見ている小生からすると政治ショー以外のなにものにも見えませんでした。関係者全員が異口同音に唱える「選手主体」は念仏のように聞こえます。又、政府側は、オリンピック担当相、文科省、コロナ対応の厚労省と縦割りが顕在化しています。元来、国民世論、都民世論としては、誘致反対が多数いた中で強行した政治判断でしたので、誘致責任も含め、責任者を明確にして欲しいと考えるのは小生だけでしょうか?マスコミでは「ビジョン不在」とも言われますが、ビジョンはリーダシップに依存しますので、リーダ不在ではビジョンも生まれる筈がありません。
3)開催後評価の公開
オリンピックの結果としては、メダル獲得数が取り沙汰されていますが、多くの費用が税金で賄われている以上、予算と実績についての公開があってしかるべきと考えています。元来、我が国はじめ多くの国では、予算だけが国会審議の目玉議題となっていますが、企業では最大テーマである決算が、議題となっていないのが不思議です。少なくとも、貨幣価値中心で動いているオリンピックに関しては、収支決算を公開すべきではないでしょうか?一部マスコミでは、無観客での実施により数千億の赤字との試算が出されておりましたが、今回は、建設費などの主な事前準備費用も含め、是非、公開をしてほしいと考えます。経済効果についても、招致段階では大きな数字を目論んでおりましたので検証してみても面白いと思います。現場で汗をかいている多くのボランティアや自治体職員の方に報いる為にも、コロナ対応での評価もさることながら、観光資源として政治利用した結果を知りたいと思います。
「がんばれニッポン」に流されることなく、素直に選手を応援するスポーツの意義よりも政治的価値が優先された為、敢えて1年延期でパンデミック下でも実施された東京オリンピックについて、様々な観点から総括されることを願います。本来、政治とは切り離された存在であるべきスポーツです。いずれIOC改革に動く日が来るように思います。
以上