選民思想 営業雑感No.108

 先日、NHKのドキュメンタリーで「忘れられた戦後補償」という民間人への戦後補償が全く為されていないことが語られておりました。空襲で腕や足を無くした方や引き上げ者に対する海外遺失資産の保障について、挙国一致の名の基になされたものは国民共通の問題であり、国には責任が無いということで司法もそれを追認していたということでした。加えて、マスコミも「自分達で何とかしろ」論調で世論を形成してきたようです。戦後75年を迎え、漸く国会で取り上げられることになったという内容でした。その中で語られた当時の大蔵省や厚生労働者の幹部の言葉に違和感を覚えました。一方で、軍人に対する補償は、次々に法整備がなされて充実したものになっていった背景に、官僚や国会議員に元軍人が登用されたことが語られていました。

 戦後補償については、韓国の従軍慰安婦や強制労働に対する補償の問題や、戦時中占領地で発行された軍票という仮紙幣の問題もあり、一概に論じられるものではないのかもしれませんが、民間人も軍人と同じく保障するという姿勢は必要なのだと考えます。国内でも保障していないので海外でも保障しないは、国際社会では通用しません。現に、ドイツやイタリアでは、既に保障されているようです。上記のような問題についても、別の観点での議論が必要なのでしょう。

 前置きが長くなりましたが、昔から「為政者にとって10の犠牲で100が助かるのであれば、10を切りすてる」という理論は定着しています。これは上記にも当てはまる理論だと考えます。このような事態に陥る根本には、為政者や官僚、議員の中に、自分達は一般国民より上位にいるという選民思想があると思います。まして戦前からの軍人には、更に色濃いものであったと想像されますので、当時の官僚がこの方向に流れたのもうなずけます。この選民思想の極まった形が独裁でしょう。経済用語にも少し意味合いが異なりますが「損して得とれ」という言葉があります。政治、経済、ともに選民思想の入り込む下地は出来上がっていると考えていいでしょう。

 選民思想は、どのようにして育成されるのでしょうか?それは簡単なことです。以前、東大において「君たちは国家を担うためにここに集う」という言葉が、入学式の学長挨拶の定例になっていたと聞きました。このように、TOPに立つ方が、一部の方に対して選ばれた方であるという自覚を促すだけで選民は生まれます。後は、自覚を持った方の考え方次第です。組織においても、この思想はあります。エリートと呼ばれる存在は、エリートの和訳が選民ですから、選民そのものです。従って、選民思想の蔓延を防ぐには、選民と言われた方が、人を下に見ないというモラルの問題になります。言い換えれば、自らが選民思想に取りつかれていないかを、一人一人が自問するしかないという結論になります。唯一の方法としては、社会全体の共通の価値観として共有することです。例えば民主主義の原点は、選挙で選ばれた議員が等しく国民に寄与する為の法律を考えることであり、公務員は等しく国民に奉仕する公僕であるということを、選ぶ方も選ばれる方も国民一人一人が共通に認識出来れば、事情は変わってきます。

 今のコロナ禍についても、この選民思想が入り込んでいないでしょうか?政治家や官僚、政府高官、自治体リーダの発言を改めて検証すると怪しい発言が多々あるように思います。一部マスコミの方にもその傾向があるように見受けられます。コロナ禍において、国民の為を第一義と考えると、経済との両立や医療崩壊とは別の議論も出てくる筈です。経済についてもこれまでに経験したことのない形の不景気が来るような気がします。その時に、選民思想に染まった方が多いとどうにもならないのではという不安が残ります。今こそ自分の価値観をしっかりと持ち、他の迷惑にならないように、それぞれの方が自律していくしかないのではないでしょうか。

以上