今日、8月9日は、ここ長崎に原爆が投下された日です。コロナ禍の影響で例年のような大規模な式典は開催されませんでしたが、おごそかに開催されました。被災者も高齢化により段々少なくなってきており、記憶の風化も心配されております。大学生へのアンケートで、日本に原爆を落とした相手国がアメリカであり、当時、日本がアメリカをはじめとする連合国と戦っていたということを知っていた学生が、30%に満たないとの事実に愕然としました。
さて、原爆について私見を述べます。原爆は広島と長崎に落とされましたが、長崎の方が地味な印象を受けるのは私だけでしょうか?特に、海外メディアでは広島が多いです。その理由として、長崎がキリスト教布教地区だったからではないか?と言われています。長崎がローマ教皇に認められたキリスト布教区であった事を当時の作戦参謀が知らなかったという説や、長崎に残っていたキリスト教がマリア崇拝を良しとする異端であった為に敢えて選んだという説など憶測が飛んでいます。宗教を巡る争いは根深く、陰惨です。しかしながら、敬虔な信者であった将兵達は、後で長崎が同胞であったことを知り、後ろめたい気持があった為に長崎に触れたがらないように愚考しております。
原爆が大規模な実験であったことは周知の事実であり、戦後、アインシュタインが原爆完成への手助けを悔いていた事は有名です。ナチスドイツから亡命していた彼は、ナチスの開発に先行すべく積極的にアメリカに協力をしました。実験場をドイツではなく、日本にした背景として、上記のような宗教的背景があったことが記録にも残されています。これまで公表されなかった事実も、秘匿期限の切れた米国資料の開示で段々明らかになってきております。これまでの爆弾とはケタ違いの大きな爆弾であった為に、通常爆薬を詰めた実物大模擬爆弾を全国各地50カ所近くに落とし、落下速度や風の影響を調べ上げておりました。又、当初は、小倉に落とす予定であったものの小倉上空に雲があり、上空からの観察が出来ない為に、急遽、長崎に変更になったことも明確になりました。上記のような宗教観には触れず、実験効率を考えた選択がなされたことが記録されています。更には、爆弾の威力をより効果的にするため、広島では地上まで落下させ、長崎では高度500メートルで空中爆発させています。この実験は戦後も継続されて、建物の破壊には地上爆発、人間含めた動物の殺傷能力の高いのは、空中爆発との結論に至ったようです。又、戦後に長崎・広島に入った大規模な調査団には、医師も多く含まれていましたが治療よりもデータ収集が優先されていました。当時の米国駐留軍内部にも、この姿勢に反発する将校が多くいたことも判ってきました。残念ながら当時の我が国指導部は、自らもデータ収集をすべく積極的に協力したことが米国資料には記載されていますが、我が国の資料では判らないままです。余談ですが、その時の膨大な検証データは未だ秘匿されたままです。我が国にもどこかに眠っている筈です。
以上が、当時の出来事ですが、その後の日本外交の基本は、原子力の戦争利用に対して断固反対の立場をとってきました。建前かもしれませんが、非核三原則「待たず、作らず、持ち込ませず」を掲げておりました。ところが、安部・トランプ会談以降、その原則も崩れ、米軍基地への配備がこれまで以上に曖昧になりました。曖昧というのは、中国、北朝鮮を仮想敵国とする有事には、これを認めるという密約の存在が噂になっています。これも、やがて米国の公文書開示で明らかになる筈です。加えて、今や国連の「反核協定」にも反対票を投じる始末です。本日の長崎記念式典に出席した安倍総理に対し、田上長崎市長は、スピーチでこの点を指摘しておりました。確か、国連で反対票を投じた一昨年から毎年、広島・長崎の原爆記念式典で毎回、指摘されておりますが、うやむやのままです。米国大統領選でトランプが負けたら手のひらを反すのでしょうか?我が国が世界で唯一、他国に先駆けて主張できる反核の分野で、日本政府の一貫性の無さを露呈することになると思います。原子力の平和利用についても同様です。福島で大規模な災害を出したにも関わらず発電所を始めとする原子力平和利用を輸出の目玉に上げております。アベノミクスの一つだった筈です。又、地球温暖化対策としての火力発電の削減にも逆行しているうえ、削減の条件として原子力利用を持ち出す始末です。
一瞬にして日常を奪われた被災者のご冥福を祈るとともに、非核の誓いを改めて強く感じた今日でした。
以上