危機感 営業雑感No.105

 今回は、コロナ禍の第二波が来ている中で、日本中に危機感の無さが蔓延していると感じています。政府が最たるものですから嘆かわしい限りですが、マスコミも酷いものだと感じています。そこで、危機感とは何かについて考えてみました。

 そもそも危機感とは、自分の身に起こると考えてこそ生まれるものだと思います。何の根拠もなく自分だけは大丈夫と思っている方に危機感はありません。リーダシップの常套手段として危機感の共有があります。その為に組織員に危機的状況を上手く伝え、煽る方法がリーダシップ論の中で研究されています。危機感で繋がった組織は強いです。余談になりますが「不幸は共に耐えられても、幸せは分かちあえない」という有名な言葉に人間の気持ちが象徴されています。政治の世界では、ヒトラーのナチスが危機感の扇動に長けていました。トランプ大統領の手法もまさにこれだと思います。但し、トランプさんの欠点は、国民全体の危機感を煽るのではなく、特定の人達の危機感だけを掴み取っていることです。その為に分断社会が生まれています。

 今回のコロナに関しては、若者には怖い病気ではなく一部の持病を持つ高齢者にだけ怖い病気、というイメージが早期に定着したことで、病気に対する危機感よりも医療崩壊や経済破綻への危機感が強すぎることになったと思います。若者の感染者が多いこともその遠因でしょう。しかし、この病の実態は未だ解明されておりません。多くの国民はこの事実に漠然と気付いており、怖いと感じているのが現状でしょう。そもそも、政治家は高齢者が多いのですからもっと危機感を持っても良さそうなのですが不思議です。他国の死亡原因を医療崩壊が原因と捉えていることもその一因のようで、深読みすると、政治家の多くは、もしもの時の自分のベットだけは確保出来ていると考えているのかもしれません。

 政府とそれに追従するマスコミは、パニックを心配してのこともあるかと思いますが、病気に対する危機感をもっと共有しないと、このまま迷走が続くような気がしてなりません。危機感の共有を強く妨げるものも危機感です。価値観の違いによるものが大半ですが、本来価値を持たない金が金を産む虚業経済の発展と、それに乗っかる金権政治の影響か、オリンピックやGo toキャンペーン、あべのマスクなど病気の危機感とは、全く異なる危機感が背景にあるように思えてなりません。

 コロナとは別の危機感にも不安を覚えています。それは天災に対する「想定外」という表現です。今回の梅雨は、長くて怖いものでしたが、来年からはこれが当たり前になるという考え方は無いのでしょうか?ここ数年、毎年大きな水害が出ています。梅雨前線だったり台風だったりとキッカケは異なりますが、線状降水帯が発生して被害をもたらしていることは共通です。これまでの河川管理の在り方や排水の仕組みについて、今後は、これが当たり前と考えた場合の危機感で見直すべきではないでしょうか?これまでの施策が全て無駄であったり、返って足枷になっていたとしても、それを明らかにすることから始めるベキだと愚考しています。今の教科書がどうなっているかは知りませんが、今の日本は温帯気候ではなく、亜熱帯気候に変わっているように思えてなりません。もし、気候型が変わっているとしたら、それこそ共通の危機感が持てる筈です。地球温暖化の議論も別の形で進む筈です。

 危機感は自分にとっての素朴な感情ですが、リーダは自分のこととして考える想像力と、それを組織や社会全体で共有する方策を考えることが必要でしょう。又、危機感を阻害するのも価値観の異なる危機感であることを意識して危機感の本質を見抜く力が必要だと愚考しております。

以上

2020年8月2日 | カテゴリー : 閑話休題 | 投稿者 : csf-ishii