戦国と欧州 営業雑感No.102

 今回は、先日、NHKで久々に見応えのある歴史ドキュメンタリーを見ましたので、お話しをします。信長・秀吉・家康の覇権交替に欧州のスペインとオランダの覇権争いが深く関わっていたことを、欧州の文献から読み解いたものでした。本能寺も含め、安土・桃山時代は、不可思議なことが多かったのですが、少しほどけた気がします。

 当時の欧州はスペイン全盛時代で、オランダとイギリスが新興国として台頭しつつある時代でした。スペインは、ローマ教会とも深く関わっていました。ローマ教会に残された文書によると、スペインの植民地政策と教会の布教拡大の利害が一致し、両社は協力関係にあったようです。従って、日本への布教もその一環でした。南米における布教後にスペイン征服軍がやってくる図式です。勿論、教会が敵としたのは仏教勢力です。仏教勢力も、当時は弱体化していましたが、朝廷や幕府と強固な結び付きがありました。そこで、信長に目を付けたという訳です。そして、信長に提供したのが、鉄砲の玉であった事が教会の文書にも記されていました。フィピンで採掘された鉛と、長篠など織田軍が戦った古戦場で発掘された玉の成分が一致していました。織田軍の強さの秘密は、これまでの定説であった鉄砲の数というより、玉の豊富さにあったように思えてきました。延暦寺焼き討ちや本願寺攻めの背景にも教会が関わっていた可能性が残ります。

 本能寺の変に際し教会が、キリスタン大名に秀吉に味方をするように働きかけたことは日本でも知られていました。今回、教会の文書に、教会が積極的に動いたことが記録されており史実であることが判明しました。山崎の戦いで高山右近以下近畿勢を味方につけたことは大きいといえます。教会が秀吉に味方をした背景には、光秀が仏教寄りであったことに遠因があるようにも思えますし、本能寺の変そのものが教会寄りの信長に対して、朝廷と仏教が結託して光秀を支援していたことも考えられます。

 戦国最後の戦いとなる大阪の陣の前に、オランダが日本に来て家康と深く関わります。三浦按針は有名です。オランダはスペインと違い教会との関係は弱く、東インド会社という経済組織が国を代表していたようです。その結果、スペイン・教会の押す豊臣とオランダの押す家康という図式が出来上がりました。教会は、信長時代と同じく玉をふんだんに供給しました。そこで家康は、遠巻きにせざるを得なかったということです。切り札となったのが最新式の大砲で、これをオランダが持込み、籠城に終止符を打たせました。このあたりのいきさつは、東インド会社に残るレポートから明らかになりました。豊臣と徳川の戦いは、スペインとオランダの戦いに関係しており、オランダが勝利することで、その後のキリシタン弾圧にも繋がっていったと考えます。以上が覇権の推移とスペイン、オランダ両国の関係です。

 余談になりますが、当時の鉄砲は、日本製が世界で最も優秀だったようです。背景にあるのは刀鍛冶の鍛造技術で、鋳造の欧州製鉄砲を凌駕していたとは驚きでした。又、日本の侍も最強軍団だったようで、教会の文書には、日本の兵力を使って中国へ侵攻する構想が書かれていました。案外、秀吉の朝鮮進攻も教会の構想に関連していたのかもしれません。そう考えると不可解な利休の失脚も、仏教と教会の争いが背景にあるかもと疑いたくなります。オランダも日本の兵力には関心を持っており、家康の許可のもと、傭兵としてスペインのアジア基地を攻撃したことが書かれていました。タイで有名な山田長政やアジア各地での侍伝承が裏付けられたことになります。

 最後に、銀の話です。当時は、植民地が定着しつつある時代で、国際通貨として銀が重要視されていました。当時の日本は、世界有数の銀保有国でした。この銀をスペインもオランダも狙っており、佐渡銀山を抑えた家康に味方したオランダに、軍配が上がったようです。豊臣も岩見銀山などを押さえており、こちらは、教会を通じてスペインに渡ったと考えられますが、佐渡の銀保有量が、当時の世界の生産量の3割を占めるほどの大規模なものであったことが、オランダに幸いしたようです。尚、世界の銀を通貨の中心とする銀本位制は、産業革命の起きたイギリスが、世界の覇権を握っていた近代まで続きます。その後、石油によるエネルギー革命を起こしたアメリカに覇権が移り、金本位制へと移行します。現代は、兌換価値のない貨幣経済となり、小生の憂慮する「金が金を産む」虚業経済へと移行しております。我が国のその後の状況は、佐渡を掘りつくした徳川幕府が、小判に代表される金本位に移行し、関西は銀本位のままでした。維新までは、金と銀のダブルスタンダードという珍しい状況で、為替の概念が、海外に先駆けて生まれた背景もここにあります。

 西洋史と日本史にこれほどの関わりがあるとは思いもよりませんでした。この頃以前は、東洋史との関係だった筈ですし、小生達が習った教科書にも東洋史との関連しか書かれていませんでした。鎖国中にオランダが重用された背景や、その後に歴史において西洋史との接点を知ることができ、大変良い作品でした。しかし、これらの事実が古文書から解明されたことを思うと、今の政府に歴史に対する為政者責任として、文書を残すことを意識されている方がどれほどおられるのか?不安になります。

以上

2020年7月12日 | カテゴリー : 閑話休題 | 投稿者 : csf-ishii