ビジョン無き世界 営業雑感No.91

 今回は、コロナ蔓延に伴う社会の変化について、政府との関わりにおいて考えてみました。現状を見るにつけ、我が国や米国の現政権の最大の欠点は、経済至上主義というか拝金主義であるということを痛感しています。二言目には、経済効果と言う閣僚の何と多いことか?今は、経済効果を論じる前に国民生活を守ることが必要だと思います。そもそも、統治者にとっては、国民の生活を守ることが最大の命題の筈です。民主主義は、それを体現したものである筈です。彼等を選んだのは我々ですから、我々もまた拝金主義に陥っていると思わざるを得ません。

 この営業雑感の第一回は「方針ありき」で、組織運営を担う者にとって一番大切なことは、「会社の基本方針(ビジョン)を自分の組織に適合させた組織基本方針を部下に明示する」ことだと論じました。今この時に、国、地方問わず全ての政治家に自分の政治ビジョンを考えて欲しいと思います。そのビジョンに従って行動すれば、少なくとも今の迷走が少しはマシになるように思います。公務員についても同様です。特に、国家官僚については政治家と同じく猛省をお願いしたいと思います。昔は「国家を論じる官僚」が、政治家と闘っていたように思います。そんなテーマの小説もありました。官邸主導の名のもとに、志も失ってしまったように思えてなりません。

 そもそも、このビジョン無き時代に誘導した一つの制度が、「目標管理」だと愚考しております。正しくいうと「ビジョン無き目標管理」です。成果を追求するあまり「成果さえ上げれば文句は無いだろう」的な輩が増えたのも事実ですし、以前から「ルールとモラル」の問題として取り上げておりますように、成果追及と人格形成は正比例しません。目標達成能力と管理職としての能力は、似て非なるものというのが昔からの定説です。おまけに1年というような短期で成果を評価すると尚更です。又、忖度に代表されるように評価者へのおもねりやすり寄りが、以前に比べ増えたように思います。評価者にも目標設定時点で、より低い目標で承認するような贔屓があるように思えます。本来の目標管理の目指す実力主義とは、逆の運用がまかり通っているように感じています。目標設定の前にビジョンを明確にし、ビジョンに即した目標設定が必要だというのが持論です。選挙の時のマニュフェストも同様に、掲げる項目だけが人目を引くようなものばかりで、ビジョンが見えないうえに、結果を評価する動きもありません。

 欧州各国のコロナ対応がマスコミで取り上げられていますが、専制君主と戦って、国民の為の政府や議会を作った歴史の違いにより、根本的な政治に対する共通理解が我が国とは違うように思えます。国民の生活を守るという姿勢が、経済効果より優先していると思います。

 一方で、中国や韓国のように国民監視制度で乗り切ろうとしている国もあります。国民側もコロナと戦うのならやむなしとの認識が大半を占めているようです。時に、中国は独裁の傾向が強く、現主席は皇帝を目指しているようにも思えます。独裁には、ビジョンはなく、独裁者の考えがそのままビジョンですので、政治効率は極めて高く、良くも悪くもTOP次第です。優秀な専制君主制か、衆愚政治に陥り易い民主制かの問題が、コロナでも顕れるように感じています。

 コロナは、これから、今は感染の拡がっていない南米やアフリカに蔓延する危険をはらんでいますので、世界情勢は極めて不透明です。国内でも、身近な飲食店の経営問題が取り上げられていますが、各企業の状況も深刻になってきていると思います。医療崩壊だけでなく、最悪のシナリオでは、企業崩壊が始まることも予想されます。一人一人の自覚と共に、組織が目標ではなく、ビジョンに従って方針を決定し、乗り切ることを願うばかりです。

以上

2020年4月26日 | カテゴリー : 閑話休題 | 投稿者 : csf-ishii