罪と恥 営業雑感No.35

 小生、ルールとモラルについては、いろいろと考えるところがあり、組織運営にも関わる生涯のテーマと考えております。今回はモラルを中心とした持論をお話しします。

 人が持っているモラルは、一つではありません。座右の銘・家訓・宗教の教義・社訓など、様々なものを複数持っています。ルールにも六法・条令・判例などの法律から組織規約など様々なものがあります。ルールでは、これらの優先順位が明確に決まっていますが、モラルでは、人によって、その優先順位がバラバラです。例えば、深く宗教に帰依している人にとっては、常に教義が絶対ですが、同じ宗教を信じていても軽い信心程度であれば、教義優先は、時と場合によります。まして、違う宗教を信じていれば、それは、もう争いの火種となり、行動を制御するどころではなく、人を殺人ロボットにもしてしまいます。小生は、教義で人の行動を完全に制御することは非常に危険と考えています。又、モラルの相違をルールで補完することも不可能です。モラルの問題は、モラルで解決していくしかなく、法律学でもモラルの相違問題を縛るルールは悪法と定義されており、法治国家における政教分離という考え方の根源となっています。個人的には、先年成立した「機密保護法」は、判断基準に為政者のモラルが大きく関与しており、大いなる疑問を感じます。

 モラルで人の行動を制御することの難しさは、この優先順位の違いに大きく関係しているとご理解下さい。一方で、モラルもルールも、本来、集団行動を行うなかで必要となる概念ですから、場所と時間を限定することで、ある程度、平準化することが可能です。つまり、企業という集団だけで通用するモラルを共有できれば、企業人として行動している間は、そのモラルを優先させることが、理論的には可能になります。但し、その為には、共有が基本となりますので、押し付けでは、決して実現出来ません。例外として、カリスマ的TOPが存在している場合、多くは軽い洗脳という形の押し付けで実現されます。

 ルールにおける行動制御の歯止めが「罪」であるように、モラルにおいても何らかの歯止めが存在します。日本的モラルでは「恥」になります。キリスト教に代表される一神教においては、神に対する「罪」(冒涜)とされます。尚、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教における神は、同一神ですので、これらの宗教を信じている方(大多数の地球人)は、罪の概念だけで縛られており、神を絶対として誰に対する罪かを問うだけで、恥の概念はありません。恥に近い存在として「ジェントルマンシップ」や「騎士道精神」などがありますが、基本、教義の「罪」に勝るものではなく、こちらを優先させている人は、変人・狂人扱いを受けることが多いようです。

 余談になりますが、イスラム教の絶対経典であるコーランに書かれていることは「人を殺すなかれ」というような行動規範(モラル)の集大成ですが、文面だけを見るとルールとあまり変わりません。よってイスラム教国は、経典=法律となり、宗教国家となるケースが多くなります。またまた脱線しますが、上記の「人」とはイスラム信者だけであり、異教徒は「人」ではありません。従って「異教徒は殺し放題」となります。

 つらつら書きましたが、小生は「恥」の概念こそが、モラルの正道と考えております。恥は、自分で自分を律するものであり、仏教での戒律に通じるものです。恥の概念では「モラルは、自分で自分を戒めるものであり、他人に強制するものでは無い」ということになります。「恥を知れ」という言葉をよく発する人は、「恥」を本質的に理解していないと思います。日本の誇る「恥」の文化を企業に導入すべきというのが、小生の企業文化での持論です。

 小生の考える会社におけるモラルとは「当社においては、その行動は恥になる」という概念の形成です。雇用契約というルールで成立している企業という特定集団においては、ルールが優先されることは当然ですが、ルールを拠り所とした「罪悪感」に加え、「羞恥心」という限定的な企業モラルを持っている組織が、強い組織であると考えます。強い組織とは、行動が迅速で、お客様や市場に対して一直線で向かい、方針変更も柔軟になされます。その為には、ルールが明文化され周知徹底されていることは勿論ですが、ルールの実践徹底には、モラルが大きく寄与します。加えて、ルール改訂の際の道標ともなります。無論、ここでいうモラルとは、人により優先度の異なる普遍的なものではなく、職場という限定された空間と時間の範囲の中で、その所属員が第一義として認識されるモラルです。

 企業モラルは、勤務年数の長短や職位に関係なく、自らの行動で示す、共通の行動パターンとなって顕れます。「嘘をつかない」「上司に従う」というようなものから「自分で出来ることだけは全力でやる」ということなども共通のモラルといえます。これらを一歩すすめて顧客視点での共通した行動パターンの醸成と会社組織に限定された「恥」の文化を共有できるようにすれば強い組織になると考えております。その意味で行動規範の制定と徹底は、とても重要で、朝礼でのべからず3か条などの斉唱は、いい習慣だったように思います。

 「罪」が法律や教義という絶対的価値観で判断されるのに対し、「恥」は、個人毎の相対的価値観で判断されますので、二つは並び立つものではなく、行動を決める際に、どちらかが優先される関係になります。時と場合により「罪」と「恥」は、その優先順位が変わることが多いです。

 本源的に「罪」と「恥」、どちらが人にとって重要かは、判断の分かれるところであり、答えの出ない永遠のテーマと考えます。赤ちょうちんでの話題としては、議論百出で面白いと思いますが、結局は、自分で思い定めて行動するしかなく、「罪」を優先して生きる人、「恥」を優先して生きる人、人それぞれでいいと考えています。以前にもお話しましたが、小生は「自分に恥ずべきことはしない」を第一義としております。

以上

2019年2月24日 | カテゴリー : 閑話休題 | 投稿者 : csf-ishii