米国で保守派指導者が暗殺されたことを受けて、リバラル派への圧力が増しています。放送局への介入などもありますし、裁判官や金融政策理事の解任など、あからさまな反トランプ勢力への為政者からの抑圧です。米国といえば「言論の自由」と「民主主義」の象徴のような国でしたが、現在、為政者による抑圧を容認しているという事実をみるにつけ、国家感を変更すべき時期かとも思っています。
今では全体主義国家に変貌をとげたプーチンのロシアですが、民主化が定着しかけていたロシアで戦況によって選出されたのがプーチンです。その後、反対派勢力への抑圧を強め、今に至っています。今では独裁者といっても過言ではないと思います。中国の習近平にしても独裁を否定していた共産党の仕組みを骨抜きにしています。軍部の完全掌握が終了すれば、独裁者となることは確実とみています。中華思想で考えるのであれば皇帝復活となるかもしれません。このように、小生は、言論統制や反対者への為政者からの抑圧は、独裁者への道と捉えています。かれらの下敷きになっているのはヒトラー政権だと思っています。ロシアが反ナチス祝典を開催していることに歴史の皮肉を感じています。
加えて、奇異に感じるかもしれませんがいずれの独裁者の場合でも、熱狂的な国民の支持を得ていることです。国民の支持の背景にあるのは、これも共通で生活苦です。現在の米国にある現状も国民の生活苦に立脚して、熱狂的な支持者に支えられているトランプが、為政者として言論統制を行なっている点で赤信号と考えています。米国民が、言論の自由とどこまで戦えるのか?注目したいと思います。
又、少し気になっているのが、欧州各国で「移民反対・自国主義」を掲げた極右と称される政党が台頭していることです。まだ政権を担当するところには至っておりませんが、どこか一国でも政権と獲ることがあると大きな流れがくるかもしれません。米国と異なり欧州は中世封建制度を打破して成立している国家群ですので、米国と異なる価値観を持っています。言論の自由に対しては米国よりも優先される可能性もあります。自国主義の政権が誕生したとしても、新しい形のEUが誕生するのかもしれません。歴史は繰り返すといいますが、新しい帝国主義が台頭するのかもしれません。
言論統制という意味では第一次世界大戦前の我が国も同様でしたが、我が国には独裁者は出現していません。そこには天皇という、元首でありながら国政を牛耳ることがないという世界では稀な存在がありました。戦後の東京裁判では「天皇の罪」が最大の焦点でしたが、罪は問われず「国民の象徴」となりました。欧州ではフランス革命をその代表として為政者は全て断罪されています。戦前の我が国において天皇と首相、議会というものが、どのような構造であったのか?国民感情も含めて考えてみる必要があると考えています。前回、国民政党という考え方に反対しましたが、もしかするとそこに我が国独自の方策があるのかもしれません。
小生は、全世界的な国民の生活苦による変化の背景には、資本主義の限界があるとみています。戦前の我が国を考えるにおいても、戦前の企業というものについても振り返る必要があると考えています。
米国分断の未来がどのようになるのかは判りませんが、世界の中の我が国について、改めて考えないといけない時代は、すでに始まっていると思います。
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