今回は、パリオリンピックと広島・長崎での原爆被災者追悼式典の二つで、小生が感じた時代の変化をお話します。
先ずは、連日、日本中を寝不足にしているパリオリンピックです。今回のオリンピックで小生が強く感じていることは世代交代です。レスリング、体操、スポーツクライミングなどの新競技ではその傾向が顕著でしたが、水泳、陸上、体操などでもその傾向が見えていました。加えて、この傾向は我が国だけではなく、世界的にも若手の躍進が目立っていたように思います。
次に感じたことはSNSが世界共通の情報伝達手段として、先進国と呼ばれている国々では定着しつつあることです。誤審の疑いや、特定の選手への誹謗中傷など、SNS発信の個人意見がマスコミや公的機関である筈の各国スポーツ協会が反応しています。SNSとは「つぶやき」と言われるように、何の根拠もない個人の感想にすぎません。これまでは、家庭や学校など特定の集団だけで流通していた情報なのですが、SNSを使うことによって時間と国境を越えて伝わり、それに共鳴する人達の人数(ツィート数)の力で正当化されるということです。元来は、個人的見解であり、具体的な根拠を示すものではない意見でも多数決によって正当化され、個人及び関係団体に影響を与えています。これについては、規制などについての議論が我が国ではさかんですが、よくよく考えますとマスコミがSNSを安易に取り上げていることに問題があるように思います。SNSとは、世界規模での井戸端会議と位置づけて、その中で完結させるべきではないでしょうか?マスコミや公的機関もSNSにも参加していますので、その中で報じることと、グループとしてシナリオ作成や編集手法が確立しているマスコミ情報とは区別して、利用者にどちらを利用するかを選ばせるのが正しいように感じています。SNSが生まれた時からあった世代のコミュニケーションとSNS以前の世代では、明確な世代間ギャップが存在していると感じています。オリンピックの世代交代とこのコミュニケーション手段の変革による世代交代が同期しているように感じています。
世界規模の井戸端会議ですが、自由主義国では、一般的に普及しているスマホですが、中国やロシアなど政府が情報統制を行っている国もありますし、一部の高所得者に限定されている国々も多いことから、普遍的な世界井戸端会議になっていないことにも留意すべきと考えています。それを承知の上で、井戸端会議が世界の政治を決める時代も面白いかもと考える今日この頃です。
さて、広島と長崎でイスラエルへの招待について意見が割れたことについてマスコミで取り上げられています。小生は、自らの領土的野心を武力で実現しようとすることを否定すべきと考えています。なかでも、一般市民への攻撃は全て否定すべきです。ガザ問題を宗教問題と捉えて居る方も多いようですが、これは、顕かにイスラエルの領土的野心によるものです。イスラエルの現政権は、ガザを国家として認めていません。本来は、イスラエルの領土であったガザを占拠している民という考え方で、一般市民への攻撃も正当化しています。。その意味では、ロシアのウクライナ侵攻と同じであり、長崎市が両国を招待しないことは当然のことと捉えています。長崎ではこれに抗議をする欧米各国が出席辞退を行いましたが、同盟国であれば黙認をするという姿勢についても疑問を持っています。そもそも、ロシアがウクライナ領であったクリミア半島を占領した際に、当時、ロシアがNATO協調路線であったため、これを黙認したことが、現在のウクライナ紛争を招いたといっても過言では無いと思います。戦争と敵国市民への攻撃は、まさに長崎が先の大戦で経験したことそのものです。歴史上稀に見るほど、大きな戦争のない世界が長期にわたって継続しています。更なる継続を願うばかりです。
以上