前回は世代間ギャップについて考えてみましたが、伝統ある宝塚劇団でも大きな問題が発生しています。そこで、今回は、伝統に内包されている強制的行動規範について考えてみます。勿論、後継者育成という場面では、世代間ギャップにも深く関係します。伝統が潰えてしまう背景は、伝統を重んじるばかりに世代間ギャップを埋めきらずに後継者が育成出来ないことにあると考えています。
さて、伝統における世代間ギャップとは、伝統の時代への適応に大きく係わっていると思います。それは、伝統として伝わっている行動規範が、後継者に受け入れられるか?否か?で顕在化するというのが持論です。ここで強制的行動規範が優先されて、理不尽と思われることを受け入れてしまうと結果的には時代から離れていきます。宝塚劇団では、先輩と廊下ですれ違う際には、下級生は隅に並ぶ習慣があったと聞いています。そうすることが自然であった時代はいいのですが、訳もわからず強制されると強制された方には精神的苦痛などの問題を残すことになります。伝統と呼ばれる多くのものの中には、必ず、長幼の序が含まれており、廊下の隅に並ぶという行動規範もその一つに過ぎません。伝統として受け継ぐ技術力の優劣での地位もありますが、名人と呼ばれる人であっても先輩に接する際には礼を守るというように、底辺には必ず長幼の序の思想が流れています。いわゆる縦社会です。家元制度においては、ここに血縁が深く関わってきますので、より複雑な行動規範を伴うことになります。
昭和世代の方は、クラブ活動などで、必ずこの縦社会の伝統を経験している筈です。平成世代からは、この縦社会傾向が希薄になり、令和世代においては、特定の団体を除いては、縦社会を支える長幼の序そのものが曖昧になっているように思います。ジャニーズにおいては、呼び方は「君」で統一していたということでしたが、先輩・後輩の実体は変わっていなかったようですので、上辺だけだったようです。結果として、ご承知のような皮肉な結末を迎えてようにも感じます。
小生は、大学時代は4年間、学生寮におりましたので、今にして考えますと残酷でもあり滑稽でもあった伝統の一端をご紹介します。入寮して最初の試練が入寮式でした。新入生は、必ず先輩と同室の二人部屋になります。同室の先輩からは、入寮式までに同窓や郷土の先輩の部屋を訪ねて挨拶をするように言われますので、大学の入学オリエンテーションもそこそこに部屋回りをします。ところが、入寮式では食堂に全寮生が集まる中、一人ずつ食堂テーブルの上に上げられて、同室の先輩の名前から始まり、両隣、同窓、同郷の先輩の名前を言わされます。名前を忘れているとヤジと怒号が飛び交います。登壇テーブルの最前列には、5回生以上の長老が竹刀片手に床を叩くという具合です。声が小さいというだけでもつるし上げですから、大抵の新入生は大変な所に来たと思います。その一週間後には、酒を飲みながらの深夜登山です。急性アルコール中毒も発生しますので、麓には救急車が待機していました。このあたりから「暁の大脱走」と呼ばれる新入生の退寮が頻発します。新入生が家庭に守られた子供という立場を捨てて大人としての自覚と、運命共同体である寮生活を過ごす寮生として自覚の二つを植え付ける為の儀式ということでした。今の時代にも必要な自覚でもあるとは思いますが、自覚を促す方法論として採用されることはないでしょう。
小生の過ごした寮は、自治寮でしたが、途中入寮は認めておりませんでしたので、新入生は毎年100名くらい入りますが、4月中に三割前後が退寮し、二回生になる際には半分くらいになります。四回生まで全うし卒寮式を迎えるのは2割弱、落第含めて5回生以上の長老まで残るのが一割というのが通例でした。但し、退寮生に対する差別などは、無かったと思います。退寮してからも遊び来ていましたし、下宿に泊まりに行ったりもしていました。但し、サークルのキャップや大学自治体の幹部、大学生協など、学生の主要ポジションは寮生で占めておりましたので、大学全体からは、特殊な集団と見られていました。当時は、毎年恒例の大学との団体交渉もあり、自治寮に対する大学側からの圧力もありました。
還暦を迎えて、同期と寮を訪問しました。今でも自治は続いているとのことでしたが、一人部屋になり途中入寮も認めているようで、私達の時代の伝統はなくなっている様子でした。寮長が挨拶にきて寮内を案内するという、卒寮生を迎える伝統だけは、何とか残っていました。余談になりますが、同時期を過ごした前後8年くらいの寮の仲間と定期的に合う機会があるのですが、今でも、企業の役職などには関係なく先輩・後輩の序列は色濃く残っています。飲み会でも先輩の前では正座ですので、幹事と相談してテーブル席の会場を選ぶようにしています。
小生の過ごした大学寮は時代とともに、変貌を遂げたようですが、伝統ある集団では、上記のような儀式や長幼の序は、今でも残っているようです。ここから、今回の宝塚劇団のような悲劇が生まれたように思います。日大アメフト部においても同様の問題があったとみています。伝統校と呼ばれる部活や武道場などにも、この伝統は残っていると思われます。この伝統における一番の問題点は、縦社会の上位にいる人は、自分が下位にいた時に受けたことを当然のこととして、下位の人に返すという循環です。自分もかつては被害者だった訳ですから加害者という意識は薄いと思います。まして、常識を共有する同一集団内でのことですから、外部からは窺い知れない闇が内在している筈で、内部告発でしか顕かに出来ないと思います。一番の特効薬はリーダの更迭で、このところ各種スポーツの世界大会におけるオールジャパンの活躍にも、今風の監督指導として顕れていました。これも、やがて伝統になるのかもしれません。
小生は、長幼の序は人生において必要な教養と考えていますが、行き過ぎた縦社会の伝統は改めるべきという立場です。その意味では、一番に改革すべき伝統は、国会にあると思っています。当選回数重視、ヤジなどの国会でのしきたり、地方領主のような世襲政治家など、抜本的に変革すべきと思いますが、与野党含め、国会と国会議員の伝統を守っているようです。一方、官僚社会にも伝統は、はびこっているようですので、差別のない社会を目指すのであれば、日本社会を一時期支えてきた伝統を国の中から見直す時期にきているように思います。その方策が思いつかないのが、もどかしい限りです。
以上