発言者責任  営業雑感NO.195

 今回は、新韓国大統領就任会見や沖縄返還50周年に係わる政治家の発言と、その政治家発言に関する評論家の発言を聞いていて、ふと思った小生の考えを纏めます。

 気付いたことは、政治家も評論家も公約を無視することが当たり前として認識しているということです。つまり、公約は選挙用の発言であり当選後に政治や経済の事情を考えて公約とは違うことをしても構わない、むしろ当然という前提で発言されていました。そこで、この公約軽視の傾向は、日本人の特性の気質であるのでは?という仮説を立ててみました。

 その実例として、政治改革をうたって政権交代が起こっていたころに流行っていたマニュフェストについて考えてみました。当時は、どの政党もマニュフェストの考え方を導入し、数字目標を掲げた項目も多数含まれた選挙公約を箇条書きで明示していました。ところが、マニュフェストに掲げた項目についての達成評価が殆どなされていないという事実があります。政党によっては、改選選挙前に、前回マニュフェストに対する評価をしているところもありましたが、マスコミは大きく取り上げませんし、肝心の選挙民がその成果によって投票行為を変化させたように見えません。結果として。政党側は評価をしても意味がないと判断しているのではないでしょうか?現在もマニュフェストは継続されていますが、数字目標は殆どみられなくなり、選挙用のお題目のように感じています。

 では、海外ではどうでしょうか?少なくとも欧米は、小生が知るかぎりマニュフェストの評価をしています。トランプ氏も良い悪いは別にして、選挙公約通りにメキシコとの壁を作りました。当時の日本のマスコミの論調も如何なものか?というに留まっており、選挙公約の遵守についての議論は殆どなかったと記憶しています。視聴者である我々もそこに違和感はありませんでした。つまりは、日本人は、選挙公約と政策実施の関連性について、極めて鈍感な気質があるように思い至った次第です。今後、今回のウクライナ戦争を機に世界紛争の対立軸として挙げられています政治体制問題の中で、同じ民主主義国として我が国を捉える上の非常に大きな要素として、この日本人気質を考える必要があるのでは無いでしょうか?

 この傾向は、ネット発言にも見られるように思います。ツイッター社のイーロン・マスク氏による買収劇で、発言の自由についての考え方が俎上に上がっておりますが、これについても、日本と欧米の違いを考えないといけないように思います。つまり、発言の自由と発言者責任は、日本より欧米の方が厳密なのではないでしょうか?一説によるとツイッターでは、匿名を廃し裏アカウントと呼ばれる複数アカウント保有もなくして本人認証を厳密にした仕組みを提供するという説が浮上しています。これこそが、欧米型の自由な発言の広場ということになるでは?と愚考しております。

 一方で、内部告発に見られるように匿名によるネット発言も重要とされています。企業の内部告発や米国議事堂襲撃事件で注目されました2チャンネルは、匿名掲示板方式の発言の場です。今は米国の投資家に買収されましたが、この掲示板方式のしくみは日本発祥であるということを、発言責任という観点で吟味する必要があるように思います。ネットにおける匿名発言と責任者責任の伴う発言の場を異なるしくみで運用するという考え方が欧米においては当然とされているように考えています。余談になりますが、欧米では当然となっている新聞や雑誌などの記事における記者名明示の問題も、日本で一気に進展しない背景には、議論されています編集者と記者の間の著作権などの問題もあるでしょうが、それ以上に発言者責任に対する気質の問題の方が大きいようにも思います。

 公約をきっかけに考えた発言者責任については、日本的なものの一つとして今後も継続して考えていきたいと思います。加えて、アジアにおいては、日本に近い気質があるようにも思われますので、その点についても深掘りをしたいと考えています。

以上

2022年5月15日 | カテゴリー : 閑話休題 | 投稿者 : csf-ishii