今回は、常識について考えてみました。未だ整理しきれておりませんが、今の思いを纏めてみました。
先ず常識という概念の定義ですが、「特定の集団の中において、不文律として各人の行動や発言を制限している知識」として考えました。こう考えますと、「あの人は常識が無い」「常識外れの行動」とよく耳にしますが、そもそも、どこの集団の常識か?がハッキリしていないことが判ります。関西人という呼称も自分が生まれ育った地域の常識からみると関西人の行動や発言が異なるからではないでしょうか?地域の集団という考え方では、小生は、日本の常識を形成しているのは、東京と大阪以外の地域の集合体だと考えています。関西でも大阪は特別だと思います。大阪と東京の常識は、多くの地方の常識からは外れていると思います。但し、東京の常識を日本の常識と勘違いしている東京人が多いことも事実です。尤も、多くの東京人や元地方人ですから、地方を見返すという意識が強いのかもしれません。地域の常識を規定しているものは、親から子へと世代を通じて申し送りされているように思います。
一方、最近の発言を聞いておりますと、政治家の常識は国民の常識とはかなりかけ離れているように思います。このような特定の職業に関する常識もあります。但し、こちらの知識は、業務知識と呼ばれるような、地域の常識よりも、より具体的な内容も含まれており、その人のスキルを評価する際の基礎力にも関係しているように感じています。
少し細かな話になりますが、小生の属するIT業界におけるプログラム作成での例をお話しします。データを送るプログラムを作成する場合には、送る前に相手先に間違いが無いか?送った後に送ったデータが正しく届いたか?などを検証することをプログラムの中に組み込むことが必要です。何も考えずに単純にデータを送るだけのプログラムを作成した場合には、「常識が無い」という表現で一喝されることも多いものです。「常識が無い」というより本来的には「基礎力が無い」というのが正しいように思います。問題は、この基礎力をどこで誰に教わるか?が課題です。昔は、各職場に新人や配転者を指導するベテラン社員が居たものですが、最近は、専門学校などで習った知識だけに頼る傾向があるように感じています。専門学校では上記のようなデータ送信に関する留意事項などは教えないと思います。何故ならプログラム作成の技術を教えることと、データ送信のようにシステムとしてプログラムの動作環境を規定することは異なるからです。プログラムの動作環境を規定することは仕様と呼ばれますが、仕様の書き方や項目は教えられるでしょうが、データ送信のように具体的な機能は事例として教えられるだけです。後は実践で習うということのようですが、実践での指導者が居なくなっているのが現状でしょう。加えて、同じデータ送信でも、業務データのようなものを送る場合と、センサー情報などの機械データを送る場合では、その考え方も異なります。機械データを送る場合は、リアルタイムに大量のデータを送りますので、いちいち相手先確認をする余裕がありません。相手先確認はプログラムでは実施せず、現在繋がっているところに単純に送り続けることも多いものです。従って、機械データ送信のプロが、業務データ送信プログラムを作った場合には、「常識が無い」と言われることもあり得ます。勿論、逆もあります。職業における常識とは、基礎力と大きく関係しているように感じています。
地域の常識と職業の常識が複合しているのが、組織の常識だと捉えております。会社の常識や学校の常識などです。長崎人の大好きな祭りの常識もこれに属すると考えます。こちらは基礎力に加え、振る舞いや仲間意識なども関係しています。忖度などは、こちらの常識から発生してくるような気がしています。具体的に捉えるところまでには至っておりませんが、社風などもこの組織の常識の象徴的に顕れたものと解釈しています。観点を変えると、宗教戦争は組織の常識の異なる戦いだと捉えることが出来ます。
最後になりますが、この常識を形成する集団がどんどん細分化されているように感じており、危惧を覚えています。常識の違いは、争いのもとになります。お互いが当たり前と思っていることが、ぶつかり合うわけですから根深いものになります。細分化させている代表がITです。ITは情報に関る技術を飛躍的に進化させました。情報伝達の迅速化に伴い、世代間でも常識の違いが顕著になっています。若者言葉は、小生には全く理解できません。加えて、ネット社会における常識という過去に事例のない常識も生まれつつあります。ITのもたらす常識の細分化が、ITの裏側の世界のように思えてなりません。
以上